2008年02月24日

新年はこころを引き締めて

 あけましておめでとうございます。
 年の初めはキリリと「こころ」を引き締めなければなりません。それには何と言っても「教育勅語」しかないでしょう。(はぁっ?)先般ある方が訪ねてきて「某教科書には教育勅語を載せていて、実にけしからん」といきどおっていました。確かにお怒りはごもっともなんですが、僕なんかは講義のときに教育勅語をプリントしてばらまいているくらいなので、むしろ「いい教科書かもしれない」なんて思っちゃったりして。教科書はよく言うように「教科書を教えるんじゃなくって、教科書で教える」って考えるのが妥当でしょう。そうでないと教師の力量は育ちませんから。
 で、その教育勅語ですが、あれはよくないと言いつつちゃんと読んだ人も少なく、国粋派の方々から「親孝行のように良いことが書いてある。その美しい日本のこころをダメにしたのは戦後教育だ」なんて非難されると、「そうかもしれない」なんて思う人だってけっこういるのです。で、教育勅語ってどんなものか読んでみようよ。なにしろたった315文字だし、紀元節も近いし。
 まず教育勅語は「朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠二徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我力臣民克ク忠二克ク孝二億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実二此二存ス」(わてが思うに、わての祖先がこの国を作ったときに考えたのは忠孝という徳だ。我が臣民は忠孝ということに心を一つにして代々その美しさを整えていかないかん。それが我が国の教育の根っこなんだ)という部分からなる。で、続いて「爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ」(おまえら臣民は仲良くしぃ)「恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ」(自分にきびしく人にやさしくしぃ)「学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ」(よく勉強して立派になりぃ)「進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ」(そしたら進んで世の中のためになるように、そして国の言うことに従うこと)と臣民(=国民ではなくて〈臣〉民ですよ)のつとめとして立派な人間になることをあげているのだ。けっして単純に人間として立派になれと言っているのではない。親孝行程度のことを勧めるのなら教育勅語でなくてもいいだろう。
 で、肝心なのはここだ。「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン」(そしていったん何かあるときは国のためにたたかえ!それがわてのみならず代々の天皇家のためにもなるのじゃ)と言う。ところがここでミソが付いた。なんと文法上のまちがいがここで起きてしまったのだ。さて、わかるかなぁ。Hセンセみたいな国語のセンセだったらきっとわかると思うんだけど。
 実は「一旦緩急アレハ」と已然形になっているが、ここは未然形で書くのでなければならないところだ。「一旦緩急アラハ」とね。でないと毎日戦争中みたいなことになってしまうだろう。のちの人びとは教育勅語を有り難がっていたけれどもこういうぞんざいな作り方をしていたことはよく胸にとどめておこう。
 そしてまとめは「斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」(これが天皇家の真実の教えなんだから、臣民も誰がなんと言おうときっちり守ること)となる。この教えは絶対正しいという自信はたいしたものだけれど、「中外ニ施シテ悖ラス」、つまり国外でも変わらずにやれ、というのは侵略主義と言われてもしかたないよね。だから、こういうものが戦前の教育の実に巧妙な小道具だったことを忘れちゃならないのだ。
posted by 河東真也 at 15:51| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校の文化史 | 更新情報をチェックする
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