2008年02月24日

民主主義の体験

 あけましておめでとうございます。一昨年末に教育基本法が作り直されるのを見過ごしてしまい、昨年は参議院選挙で大変動が起き、突然首相が職を投げ出したり、政界は大騒ぎだったね。今年もはや総選挙の噂が流れているけれど、国民の実際の関心はどんなものなんだろうね。
 こういう流れを横目で見ながら僕は日本の民主主義があぶない、と思うのだ。というのはこのところの選挙の投票率を見てみるといい。この15年くらいは衆参両議院選挙共に70%を超えることはなくなった。地方自治体の選挙なんて目もあてられない状況だ。殊に若い世代の投票率の低さは顕著だ。これはどうしてなんだろうか。ちゃんとした民主主義が育っていないのではないだろうか。
 何年か前に某県の中学校の社会科の授業を見た。生徒たちに模擬選挙をさせるもので、事前に教師が指名した候補者(男子生徒ばっかり)がチャラチャラした演説をしたところでクラス全員で投票するというものだ。一緒に見学をした学生たちは「おもしろい授業だ」と感想を述べていたが、僕は思わず「この学校に生徒会はないのかぁ!」と叫びそうになってしまった。
 『学習指導要領』をめくってみると、生徒会活動については「学校生活の充実や改善向上を図る活動,生徒の諸活動についての連絡調整に関する活動,学校行事への協力に関する活動,ボランティア活動などを行うこと」とある。しかも「教師の適切な指導の下に,生徒の自発的,自治的な活動が展開されるようにすること」という指導上の注意がついてね。しかし、戦前から生徒がこの程度の自治活動をするものはあった。それは校友会と呼ばれていたのだが戦時体制の中で解散させられ、学校報国団という形になって戦争協力の組織となってしまったという経緯があるんだな。
 これはまずいよね。それで戦後やってきた占領軍はこのような学校の生徒自治のあり方に疑問を抱き、生徒自治会を作るよう指示したという。そこでまもなく全国の小、中、高等学校に自治会と称する組織が発足した。指示を受けてのものもあったろうし、自発的に行ったものもある。來島靖生氏の回顧によれば修猷館高校では1947年の初夏あたりから生徒の中から自治的組織の立ち上げの動きが始まり、翌年に自治委員会を組織しているし、まもなく福岡地区高校自治連盟というものも結成されている。(『修猷館二百年史』)
 で、文部省としては、占領軍の指示で勝手に児童、生徒が自治会を作っていくのをほうっておくわけにはいかない。こうした動きを受け止めて学校教育の中に位置づけた。それを『中学校・高等学校 管理の手引』という出版物の中に書き込んでいる。そこには「各新制中学校・高等学校の管理には、実際に生徒を参加させるべきである」として特別教育活動(生徒会)を位置づけた。また、「『生徒自治』という言葉は、誤解と誤用の心配があるゆえ、決して用いるべきではなく、『生徒の学校の問題への参加』という言葉の方がよい」として生徒会という名称を用いている。何か自治という言葉におびえるところがあったらしい。
 とは言え、これに基づいて1949年に刊行された文部省学校教育局『新制中学校新制高等学校 望ましい運営の指針』には「特別課程活動の最も重要な目的の一つは、公民性の教育にある。もし学校の機構が独裁的になっていれば、その学校の生徒は民主的生活について何の価値あることも到底学び得ないであろう。」と生徒会活動の目的を明記し、「公民への教育は、単に政治についての本を読んだり、知識を得るだけでは達せられない。そのためには、生徒は、投票することによって投票ということを学び、実際に指導者を選ぶことによっていかにして指導者を選ぶかを知り、自分たちの事柄を取扱うことによってその取扱い方を学び、責任を与えられることによって責任ということを学ぶ。一言でいえば、なすことによってなすことを学ぶのである。」と断言している。
 つまり、文部省が自治会を教育的に読み替えた生徒会は公民になるための教育、すなわち政治学習の場だったのだ。いつのまにか公民としての教育を骨抜きにしていったのはいつからなのだろうか。投票率が落ちたのは1990年代に入ってからで、兆候は1980年代から見られる。その辺から察するに、たぶん1970年代半ばからの公民教育が変わったんだろうと思う。何が変わったのか。団塊世代のセンセイたちよ、胸に手を当てて考えてみて。今があたりまえになる前に。

posted by 河東真也 at 15:46| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校の文化史 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。