2008年02月24日

子どものむかし・いま・あした

 いろいろと起こる子どもたちの問題に、さまざまな意見が交わされています。「学校が悪いからだ」とか、学校に言わせると「最近の親はろくでもない」とか。学校の間でも、同じ子どもを相手にしているのに、小学校の先生は「あんなかわいい子が、中学に行くと荒れちゃうんだろう」とか、中学校の先生は「小学校はろくでもない子を送ってくる」とか。僕も言います、「小・中・高の教育でろくでもない子どもを送ってくれた」と。でもそれは愚痴で、このようなことをいくら言っても何の生産性もない。じゃあ自分はどうするのか、私はどんな子育てをするんだとか、自分の学校ではどういう教育をするんだ、ということが大切です。それを「オルターナティブ【alternative】」と言いいます。“対案”をたてるという意味です。
 子どものいじめや自殺の問題は、今、たまたまマスコミに載ったというだけで、実はずっとおこっています。十五~十六年前に「葬式ごっこ」として、センセーショナルに取り上げられました。いろんな形で命を落とすこともあれば、幸い命は落とさなくても、人生を棒に振るくらいの打撃を受ける子もいっぱいいるわけですから。その後もずっと事件はあっています。
 昔、医療が発達する前は、おそらく今の7割くらいの子どもは亡くなっている、そういう時代でした。生まれて半年もすると、熱を出してよく病院に通います。今は少子化傾向ですが、学校に上がると病気をしなくなって大体二十歳くらいまでは元気です。僕らのように年をとって死んでも、そんなに悲しい話にはならないんですが、未成年の子が亡くなるというのは非常に悲しい。そして、子どもがどこで死んでいるかというと、いくつかの問題が学校と絡んでいます。

 一月の終わりに、福岡県内のある場所で、子どもがいじめを受けて自殺しました。クラスの友だちが亡くなったから、みんなお葬式に行きたいと思いました。学校は入試の直前だったから、葬式に行かせなかったんですね。先生のコメントが載っていました、入試直前で「これで子どもたちに動揺が走らなければいい」って。警察の配慮で、加害に回った子どもの取り調べは、入試が終わるまで待ってくれたそうです。変でしょう、自分の何らかの影響で友だちが自殺したら、自分の入試があったって、まず自分の気持ちを説明するとかいう指導はないんですね。
 三月にまた一人、同じ学校で自殺したんです。学校があわてて調査したら、いじめじゃなかった。学校はホッと胸をなでおろした、と新聞記事に書いてありました。自殺の原因は受験に失敗したことだったらしいと。僕は同じ問題だと思っています。友だちの死よりも受験が大切だと思っている学校で、受験に失敗したらそれは死ぬしかないって空気を感じるでしょう。そういうなかでは、多分いじめているとかいじめていないとかいうことは、親にも学校の先生にも見えない。子どもたちがどんな気持ちで学校に行っているのか、それを見ようとする目を僕らがもたなくてはなりません。

 僕にも経験があります。うちの子が不登校をはじめて、学校に相談に行きました。子どもたちの様子は、僕らにはそう簡単に見てわからない。だから、「いじめている子は、首謀者をはじめ誰と誰だかわかっている。だけどその子を責めないでほしい、特定しないでほしい。決して仲直りさせないでほしい」と。先生は少し戸惑いましたが、よくわかってくれました。いじめがあると、最後は「いじめちゃいけない」とか言って、仲直りだ、握手だと、そこで収めて帰りますけど、それで満足しているのはおとなです。仲の悪い者どうしを仲良くさせようとすること自体に無理があります。子どもにとって、かなり大きなプレッシャーです。だから「仲の悪い友だちがいるんなら、無理してまで付き合わない。その代わり、わざわざつばを吐いたり、そういうことをするな」と、おとなの付き合い方を教えてやらなければ。彼らは、人間の付き合い方にとっても下手になっているんです。

 不登校というのは、かつて長期欠席児童といわれていて、戦後昭和三〇年代ころは経済的理由によるものでした。その後、高度経済成長により長期欠席児童が少なくなったのは、一九六五年~七〇年(昭和四〇年~四五年)です。そのころから、「今の日本の教育はおかしい」と言われ始めました。一番の問題は、受験戦争の激化だろうと言われています。七〇年代後半から、学校に行かない子どもたちが出てきます。だんだん数が増えて、登校拒否ではなく不登校に。今は不登校がいるということがあたりまえになってます。学校に合わないということを、子ども自身が言うようになってきた。おそらく学校がもっているいろいろな体質が、ここにきて苦しくなってきている。
 「昔はよかった」という人がいますが、昔、学校は自分の生活のほんの一部分だったんです。学校でいやなことがあっても、帰れば全然違う世界がありました。建物自体も萱葺きで、どんどん風が入っていた。組織的な意味でもそうでした。昔の親は、みんな「適当にやったら適当に育った」と言います。
 昔の親に比べたら、今の親はしっかりしています。子どもをちゃんと見ているわけです。今の子どもは、時間監視されているような状態にあって、“逃げ場”がないんです。いたずらも悪さもできません。息が詰まって、隠れて悪さやいじめをするか、コンピュータに向かってネットで意地悪するしかできなくなっています。追い詰められているんですね。  歌手の井上陽水が主題歌を歌っている『少年時代』(原作:藤子不二雄A)という映画があります。藤子不二雄が自分自身をモデルにした戦争中の疎開の話で、都会から来たといっていじめられます。あの時代、軍国時代で社会的に逃げ場がないような状態であっても、子どもは逃げ場所を見つけていたんです。

 高校の未履修問題。学校教育の目的は、普通教育をちゃんとして「人格の完成をめざす」ことです。世界の歴史はこのようにして動いている、だから今の世の中こうなっている。外国に行きその国の歴史物の映画を見たり、NHKの大河ドラマを楽しく見る。そういう教養を与えておくのが学校教育です。それが我々生きていくうえでの大切な知恵なんですね。数学も物理もそうです。この世の中の仕組みや面白さを知っていくことをどう与えるのか、というのが学校での教育です。それを子どもたちはおもしろいと思って、自分で勉強する。そこから学力は付いてくるんです。
 ところが、受験に通すんだと変わった瞬間から、教え方が変わって、子どもは意味がわからずにその解法だけを覚えていくわけです。そうするとなかなか学力が付かない。仕方がないから0時限目があって、補習をして教えていく。このように全部教えていくと、子どもは自分で勉強しなくなるんです。勉強しなくなるから、大学では学力が落ちます。受験の学力は、あれだけ勉強しても身に付かないんです。僕はたまたま違う大学を出たから、九州大学に来るチャンスがあった。ここの大学を出ていたら、多分ここにはいなかったでしょう。大学の仕組みはそうなっているんです。全部運です。その運の時に、自分の努力で何とかできる、というのが大切です。
 高校の世界史が必須になったのは、理念として、これからは世界の歴史という教養をもった国際人になってほしいと、学習指導要領を文部省がつくったんです。受験のために日本史を勉強するというのは、子ども自身の問題で、親の問題でも学校の問題でもないんです。それを学校がルールを侵してまでやってしまった。教育を放棄して、子どもに学ぶ力を与えていないのは、とても責任があります。

 病気にはいろいろあります。生活習慣病は、僕らが長年不摂生してきたことが、ここに現れているんです。そういう病気は、社会制度(制度疲労)のなかにもあるんです。学校も社会も、一度大病を患って大手術をしているんです。戦争に負けて、その後に大改革をしているんです。ところが、まだ残っている部分や、治りきっていない部分があって、それがだんだんと現れてきている可能性があるんですね。それと、学校をとりまいている環境も変わってきている。我々は、学校と家庭の体質改善をしなくちゃならないでしょう。

 学校で勉強するのは、つまんないし、役に立たないのはどうしてだろうか。「おもしろいよ」という子はそれでOKです。さっきも言ったように、なぜ本当の楽しさを与えてもらってないのか、単純に学校の先生の責任というわけではありません。今の学校ができる前、寺子屋では、お百姓や商人の勉強、お嫁さんの作法など、勉強したいことがあると学校に行って、そのことだけを学んでいました。先生は一日七〇人くらいの生徒一人ひとりに教えてあげるんです。共通しているのは読み書きをするってことですね。
 ところが、今の学校の制度は明治の初めにできましたが、国が必要とする国民をつくるために、学校をつくったんですね。だから、国が何を教えるかを決めるんです。そこに集まったいろいろな子どもの要求があるから、誰にとっても必要なようで、誰にとっても必要のないような内容になる。これが今の学校のカリキュラムの成り立ちです。それがダメだというわけではなく、だからつまらなくなりやすいし、役に立ちそうもない。だけども、新聞を読んで事情がわかるような知識や、世界の現象を見てわかるような知恵がそこにはあります。
 もうひとつは、明治十八年に内閣制度ができて、初代文部大臣の森有礼(もり・ありのり)が、富国強兵のもと、臣民(天皇の家来である民)形成のために、純良・親愛・威重(平たく言うと、上には媚びへつらえ、お互いに傷をなめ合い、子どもには威張り散らせ)と、師範学校の制度を変えます。軍隊のように一つの目標に向かっていく縦系列の組織を考えたんです。金ボタンとカラー襟のある学生服は、当時の陸軍士官学校の軍服そのものです。
 体罰についても、日本は世界でも有数に、初期の段階から(明治十二年)法律で禁止していました。これはヨーロッパよりもずっと先なんです。それにもかかわらず、これが入ってきたおかげで、法律の建前と現実が違ってきます。

 学校がなかったころ、子どもたちは村の中で育っていました。「七歳までは神のうち」と、子どもは天からの授かり物でした。六歳くらいになると、言っていることがわかるようになり、病気もしなくなって、社会の一員として仕事(子守り)をするようになります。おとなと子どもは、同じ仲間として仕事を覚えていきました。そして、十二歳~十五歳くらいになると、一人前になります。
 民俗学者の柳田國男は、そのころの子育てを「すこしづつ追い立てていってやらっていく」、「こやらい」と言っています。彼が生きていた時代、明治に新しく始まった学校教育は、無理やり牛を水のみ場に連れて行くような教育をしている、と批判しています。すでに、日本の学校教育の間違いは明治時代から始まっていたんですね。

 かつては、中学生になるくらいが身体も心も一人前だった。同じ生物ですから今でも変わりません。ところが、無菌状態でおとなにしないような教育をしています。中学校になるとますますそうです。それが中学の荒れにもつながります。子どもは親の背を見て育ちます。おとながおとなとして生きているのを見守っています。さらに子どもは、親の背を乗り越えて育つものです。
 基本的に、子どもが自分のことを自分でできるように、自分の人生は自分で切り拓くことができるように、生まれた時から少しずつ、手をかけないようにしていく努力を、親も学校もしていかなくちゃいけない。中学校になっても子どもがいるという認識だと、子どもはいつまでも伸びません。
 また、子どもが親の背中を乗り越えようとする時には、ちょっとかがんで乗り越えさせて、自信をつけさせることはとても大切だと思います。

 「子どもの権利条約」の趣旨は、子どもは常に一人のおとなと同じだけの権利をもっているというものです。国際条約は法律よりも優先します。何かするときには「子どもの権利とは何か」と常に考えながら、「何のためにやるのか」「誰のためにやるのか」ということを物差しにしてほしい。
 「教育基本法改正」の大きな問題点は、教育が一人ひとりの個人のために行われているものから、“国家の国民”という意識に変えられようとしていることです。学校の先生が、全体の奉仕者という位置づけから、国家の一員として国の教育の先端部分という位置づけになります。一〇条は、「国がこうだから学校で戦争に行け」と教えた経験から、子ども一人ひとりの幸せのために教育をするべきだ、といって国家から独立させた法律です。改正案は行政の中の一つに教育を入れようとしている。私たちの子どもの教育でなくなるということです。よく読んでほしいです。

posted by 河東真也 at 15:41| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校の文化史 | 更新情報をチェックする
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