2008年02月24日

なぜ中学生は煙草を吸ってはいけないの

 中学校や高校では生徒の喫煙というのは深刻な生徒指導の課題だろうと思う。なにしろ喫煙は非行の始まり。取り締まらなければならないもの、とまずは決まっている。しかし、「なぜ煙草を吸ってはいけないのか」と生徒に質問されたら、何て答えればいいのだろうか。「煙草は健康に悪い」と言えば中年の教員のほうが健康面では心配である。「おめえがやめれば…」と冷たく逆襲されるだろう。「煙草は身体の成長を妨げる」何て言ったところで、見上げるように背の伸びた生徒に対する説得力は持たない。
 煙草は非行のサインではあるが、そのサインを消したからといって非行がおさまるわけではない。じゃあ生徒に何と説明すればいいのだ。……答えは一つ。
 「法律で決まっているからだ!」
ということだ。しかし、法律で決まっているからダメだというのでは説得力に乏しいことも否定できない。で、この法律、すなわち未成年者喫煙禁止法(明治33(1900)年3月7日制定、4月1日施行)ができた背景を振り返ってみよう。
 もとより日本の伝統社会では煙草のような嗜好品は「一人前」の者にのみ認められることであった。「一人前」というのは武士でいえば元服、およそ一通りの労働ができるようになった人間をいう。だいたい12~15歳くらいであったと考えていい。今でいえば中学生くらいだな。そのくらいの年になれば煙草を吸うのはあたりまえ、というのが社会的な慣行だったのだ。
 ところが明治20年代になって、例えば生徒による校長排斥運動のような学校紛擾(ふんじょう)が頻発するようになると様子が変わってきた。おとなたちの眼から見て生徒たちの叛乱は学校の風紀の頽廃というふうに位置づけられ、それが社会問題化するようになったのだ。そして学校の生徒の喫煙を禁止しようという風潮が出てきた。つまり、「学校の生徒はまだ勉強中の身で一人前ではないから煙草を吸うなんて生意気だ!」ということなのだ。だから文部省は省令で学校の生徒の喫煙を禁止しようとした。しかし、省令では学校内の生徒に喫煙を禁止することはできても、学校の外に出てしまえば取り締まることはできない。それで貴族院では「青年一般を対象にしないと学校生徒の喫煙は取り締まれないじゃねえか」という意見が出て、未成年者喫煙禁止法が成立したのである。つまり、学校の論理が青年一般(世間一般)に広げられたのである。ちなみにこの当時の中等レベルの生徒は同年代の数パーセントに過ぎない圧倒的に少数派であった。その少数派を取り締まるためにすべての青年を対象にした法律を作ったのである。
 もちろん反対運動もあった。明治33年1月28日の大阪朝日新聞には祇園新地の芸娼妓の中から反対を唱えるものが出てきたと記されている。「烟草は我々の最大機関にして、烟管の雨が降ると烟脂下がりし助六の昔より、吸いつけ烟草の愛嬌に客を吸い込むは言うまでもなく、茶、酒の合間の手捌きもよく、また後朝のちょっと一ぷくに、一縷の烟後髪をひくの能ありて、寸時も欠くべからざるものなるに、一朝これを禁止せられては、未成年者の芸娼妓はさらでだに座敷を持ちかねて、ややもすれば酸漿ぶうぶうの無愛想をなす物れば、…」という具合であった(文意の解説はしないのでそれぞれで解釈してほしい)。
 つまり、一方で未成年の労働者が煙草というツールを必要とする職種も存在したということだ。そしてこうした業界を必要とする人たちの手でこの法律は議会を通過した。ということはこの法律が実効性を持つのは学校の生徒に対してだけだ、ということがはじめから決まっていたのであり、社会一般には実質的な有効性を持たないザル法になるということが想定されていたのだ。今でもこの法律にもとづく〈指導〉は中学生、高校生に力点が置かれているのはそういう歴史があるからである。
 ところで、対象を学生生徒に絞った法律がある。自転車競技法、モーターボート競走法、小型自動車競走法などのギャンブルに関する法律では「学生生徒及び未成年者は、車券(勝舟投票券、勝車投票券)を購入し、又は譲り受けてはならない。」とそれぞれの法律で学生生徒の購入は禁止されている。但し、公営ギャンブルの元祖である競馬については2004年の改正で学生生徒の文言は削除された。理由は学生生徒というのは憲法第14条における社会的身分に相当するからだという。
posted by 河東真也 at 15:20| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校の文化史 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。