2005年10月20日

二学期制のその前に

 このところ二学期制を始める学校もあるけど、困ったのが二つの長い休みだ。そう、夏休みと冬休み。これがせっかくの学期の真ん中に来て緊張感を断ち切ってしまう。冬休みはクリスマスと正月という国民的(!)行事だから、まあ何とか許せるとして、夏休みは一ヶ月以上もあるからどうしたって前学期はだれてしまうんじゃないかな。
 実は大学はずっと二学期制をとっている。前学期は四月から九月まで後学期は十月から三月までとなっているのだが、前学期は夏休みのあけた九月に一回授業をしてから試験期間に入っていた。つまり最後の講義というのは長い休みのあとの最後の講義というのは何とも気の抜けたものになってしまう。夏休みの間に学生はそれまで講義した内容をすっかり忘れてしまうから最後の回に「前回話したあの件は…」なんて言っても話はつながりはしない。結局、講義時間数は帳尻をあわせても事実上意味のない時間つぶしに終わってしまった。最近になって、9月分の講義と試験を夏休み前に前倒しにして前学期を終わらせてしまうようになったのだが、前学期の最後は真夏日の中で過ごすことになる。低燃費のエアコンが完備してきたので可能になったことである。
 だいたい夏休みというのは日本の習慣にはなかった。これを持ち込んだのは東京大学の前身である東京開成学校に雇われていた外国人教師たちの習慣によるものであったと思われる。1875(明治8)年の同校の規則に「九月十一日ヨリ七月十日ニ至ル之ヲ学歳トス 之ヲ分チテ二学期トス 第一学期ハ九月十一日ヨリ翌年二月十五日ニ至リ第二学期ハ二月十六日ヨリ七月十日ニ至ル」と定められたのがおそらく最初の規定だろう。つまり、学年の始期が九月であるから夏休みが学年の終わりに来ていることがわかるだろう。一年間たっぷり勉強したあと二ヶ月の休養をとれるわけだ。教師たちもゆっくりバカンスを楽しむというわけだ。つまり夏休みは九月学年始期と相性がいい制度だったのだ。
 ところで私たちが慣れ親しんできた三学期制は4月始期制と深くかかわっている。四月始期制は一八八六(明治一三)年に高等師範学校が始めたことであった。佐藤秀夫氏によれば第一に徴兵令の改正によって壮丁の届出が九月から四月に変わったことによる。どういうことかというと陸軍にとられる前に優秀な人材を高等師範学校に確保するための策略であったという。第二の理由はやはりこの年に国の会計年度が七月から始まるものだったのが現在の四月からに変わったことによる。そのほうが便利だという役人の都合によるものであった。とは言え同じ文部省管轄の帝国大学は九月始期を続けるので文部官僚が強気に出られるところに押しつけたということなのだろう。
 小学校の始期については特に全国統一の時期は決められてはいなかった。福岡県ではこのころは九月始期であったが、佐賀県では明治二一年から四月始期とするよう達しがあったという。
 全国の小学校に4月始期制度が適用されたのは明治25年からであるが、法制化されたのは一九〇〇(明治三三)年の小学校令施行規則による。実際には四月始期が定着するのにはそのくらいまでかかったということらしい。今思う以上にのんびりしていたということだな。四月始期が定着してくると夏休みがじゃまをして授業期間を夏休みで区切るのが都合よくなる。そういうことで夏休みと冬休みをうまく使った学期の区分がやりやすい、ということで三学期制が普及したということなのだ。
 要は三学期制は四月始期制の所産であり、二学期制は九月始期制にぴったりの制度だったということだ。今さら言っても遅いけどね。

posted by 河東真也 at 12:23| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校の文化史 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。