2005年10月17日

石盤に込めた夢

 二〇〇五年は年は不幸を背負って始まった。そう、TSUNAMIだ。そのニュースを僕はカルカッタ(コルカタ)の安宿で知った。最初は4年前に行った南インドも候補地として考えていたのだけど、諸般の事情でインド横断に変更したのだ。もし南インドに向かっていたらこの原稿を書いていたかどうかはわからない。なにしろ前回行った町は軒並み壊滅してしまったらしいのだ。あの時出会った子どもたちがどうなったか。想像するだけで気が重くなる。
 ともかく津波とは無縁に僕たちは西へと旅を続けることにした。ブッダ・ガヤというブッダが悟りを開いた聖地がある。ここで「驢馬車に乗ってスジャータの村に行かないか」と誘われた。かつてスジャータという女性が乳粥供養をしたというところだ。驢馬車に乗りたくて行ってみることにした。実はこの村はそういう宗教的いわくのある土地であるにもかかわらず非常に貧しい村なのだ。着いてみるとそこに小さな小屋があって子どもたちが勉強していた。そこは学校だったのである。学校といってもボランティアでやっているフリースクールなのだと言う。school.jpg.jpg

子どもたちは着の身着のまま。教科書もなければ机も黒板もない。でも子どもたちは実に楽しそうに学んでいた。学ぶ熱意が全員のからだからあふれているのだ(写真1)。こういう熱気って僕たちは疾うに忘れてしまったのではないか。学ぶっていうのは競争して点数を上げることではなくて、学ぶことそのものの中に喜びがあるのだということをイヤと言うほど知らされてしまった。そこの教師の話ではノートも筆記具も不足しているという。僕は旅行メモ用の一本を残してすべてのボールペンを渡してしまった。
sekiban1.jpg.jpg そしてふと見ると子どもがあるものを使って勉強していた。石盤である(写真2)。『広辞苑』を引用して説明すると「粘版岩の薄板に木製の枠をつけ、石筆で文字・絵などを書くようにしたもの。布で拭くと消える」というものだ。石盤はヨーロッパでは18世紀末から使われていたが、日本では近代学校制度の成立の頃に黒板とともに導入された。明治5(1872)年に作られた「小学教則」の綴字(カナヅカヒ)の教授法が次のように記されている。

 生徒残ラス順列ニ並ハセ智恵ノ糸口うひまなび絵入智恵ノ環一ノ巻等ヲ以テ教師盤上ニ書シテ之ヲ授ク前日授ケシ分ハ一人ノ生徒ヲシテ他生ノ見エサルヤウ盤上ニ記サシメ他生ハ各石板ニ記シ畢テ盤上ト照シ盤上誤謬アラハ他生ノ内ヲシテ正サシム

 文中に出てくる「智恵ノ糸口」「うひまなび」「絵入智恵ノ環一ノ巻」は当時教科用図書として使われていた本の名前。そして「盤上」は教師用の石盤かな、「石板」は石盤のことである。この史料から明治初期の授業のやり方を想像してほしい。
 石盤はけっこう長いあいだ使われていた。ノートや鉛筆が普及したのは第一次世界大戦後のことであり、昭和初期くらいまでは石盤は書取りや計算を繰り返し練習できる重宝な文具であった。その日本では歴史的な文具が今もインドでは使われていたのである。ちょっと驚きであったが、ノートや筆記用具がなかなか手に入らないインドでは現役だったのである。この石盤、実際ブッダ・ガヤの文房具屋で20ルピーで売ってた。同行した若者が買っていたが、僕は買わなかった。なぜなら僕は持っているからだ。
sekiban2.JPG
 ある家の古文書とともに出てきたものだ。これには福岡市内の住所と名前が書いてあり、小学生が教具として使っていたものであることがわかる。時代は特定できないが、大正期あたりではないかと想像している。
 村を後にするとき一人の少年が僕の胸ポケットに残った最後のボールペンをくれと叫びながら驢馬車を何百メートルも追ってきた。学びの道具への執着だったのだろう。その一本を渡すわけにはいかなかった僕はけっこう胸が痛んだ。スジャータの名前を使って儲けている某企業がちょっとだけでも名義使用料を払ってやればこの村の子どもたちは救われるのに、と責任転嫁をして僕はまた旅を続けたのである。
posted by 河東真也 at 19:37| 福岡 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 学校の文化史 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今、石盤の成立など石盤の歴史について調べている者です。現代でも、石盤を使っている地域があるというこの日記にとても驚きました。ぜひ、自分の発表の時に、この話題を話したいのですが、よろしいですか?
Posted by じょい at 2011年06月19日 22:53
回答が遅くなりました。どうぞ話題にしていいですよ。ただし、「このブログで見た」ないしは新谷恭明『学校は軍隊に似ている』(海鳥社)に出ていた旨、付記してください。
Posted by 河東真也 at 2011年07月19日 10:43
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