2013年02月11日

社会科は暗記科目じゃない 社会科は暗記科目じゃない 社会科は暗記科目じゃない 社会科は暗記科目じゃない

 前回、最初の『学習指導要領』ができたころの事情を書いた。この『学習指導要領』で新たに示された教科のひとつが社会科だった。社会科は現在では地理、歴史、公民の分野について学ぶ科目だし、受験に際しては暗記科目とされてきた。ところが、社会科は戦後の新教育の目玉と言うべき教科だったのだ。なぜならば、社会科という教科は「民主主義社会の建設にふさわしい社会人を育て上げようとする」と昭和22年3月に発行された『学習指導要領 社会科編』(試案)には書いてある。だから、社会科はその当時、社会改造科とも呼ばれていたようなのだ(大田堯編著『戦後日本教育史』)。
 さらにこの『学習指導要領』では「社会科は,学校・家庭その他の校外にまでも及ぶ,青少年に対する教育活動の中核として生まれて来た,新しい教科」なのだ、と記されている。そして、国語、数学、理科等の科目との関係についても「社会科の授業の中に,他の教科の授業がとり入れられ,また他の教科の授業の際に,社会科のねらいが合わせて考慮されることは,当然のことであり,かえってその方が望ましいのである」としていて、カリキュラムの中の核となる教科と位置づけられていたのだ。
 当然暗記科目なんかじゃなかった。従来の修身、公民、地理、歴史といった科目がやっていた知識の詰め込みのようなやり方は真っ向から否定していたのだ。じゃ、どんなことをやろうとしていたのだろうか。新しい学校制度が始まる前の昭和22年1月16日、歴史的な社会科の実験授業が文部省の監督下で行われたのだ。場所は東京の新橋駅近くの桜田国民学校2年生の教室だ。29歳のまだ若い女性教師が担当した。この教師がやって見せたのはなんと郵便ごっこだった。子どもたちが手紙を書き、郵便局で切手を買い、これを汽車で運び、宛先地に配達し、また返事を書いて送り返す、という過程を子どもたちがごっこ遊びで体験する中で読み書きや計算などを学びつつ、社会の仕組みを理解していくというものであった。
 ということで、この実験授業は大成功だったみたいだ。それに気をよくした文部省は全国にこの実践をを広めていったという。
 ところで、僕の手元に『新教育研究発表要録』という劣化して壊れそうなガリ版刷り(どんなもんだか知らない人も多いんじゃないかな)の冊子がある。福岡第一師範学校女子部附属国民学校と書いてある。これは現在の福岡教育大学附属久留米小学校の前身だ。なんと桜田小学校の実験授業から一週間後の昭和22年1月23日~25日の三日間にわたって行われた研究発表会の要録なのだ。すごいだろう。これはたまたま当時教員をしていた方からいただいた貴重な史料なのだ。
 で、これをひもといてみると、当時の新しい教育への試みがいろいろ詰まっている。
 中でも社会科指導案として発表されたものは「楽しい私達の学級にする話合」(初等四年女子)、「新憲法」(高等二年女子)、「久留米の市会」(高等一年女子)、「私達をたすけてくれるもの」(初等一年男女)であった。そして驚くべきことに2日目に社会科ではなく自由研究(これも新設の教科なのだ)の指導案として「久留米の郵便局」(初等四年以上)という研究授業が行われている。これは自由研究社会研究部指導案となっていて3人の教員で共同で取り組むものとなっている。まずは郵便局を重要な社会機構と位置づけて学年ごとに異なったテーマの研究をした後でやはり郵便局ごっこをして遊ぶようになっていたのだ。さすがに附属小というところだ。久留米は全国の先端を行っていた!
 で、「新憲法」という研究授業。研究発表会では二回授業をしているのだが、一回目は前史として明治の新政についての授業なのだが「明治天皇の深き大御心を明かにする」という内容になっている。その上で新憲法の制定と内容について学ぶことになっているのだ。なんと新教育とは言っても人間の頭の中はそう簡単には変わるものではなかった。
 ということで、話を桜田国民学校に戻そう。一人の若い女性教師がこの実験授業という大役を引き受けたのは、彼女は以前に同様の教育実践の経験があったかららしい。それは合科教育というもので、大正新教育の中で始まり、戦時下の国民学校でも行われていたからである。国民学校では国民科、理数科、体錬科、芸能科と錬成のために教科を四つにまとめていた。ちなみに国民科の内容は修身、国語、国史、地理であり、戦後の社会科とほぼ重なる教科だったのだ。やはり人間の頭の中はそうそう変わるものではないということなのだろう。戦後民主主義の期待を載せた社会科も中身の変わらない教師たちによって形骸化する運命にあったのだ、ということかな。
 そういえば『学習指導要領 社会科編』(試案)には「(社会科は)青少年の生活に希望と生気とを与えるものである」とも書いてあった。読者諸君!教育が子どもたちの未来に希望と生気を与える日は果たして来るのだろうか。
posted by 河東真也 at 02:29| 福岡 | Comment(0) | TrackBack(0) | 学校の文化史 | 更新情報をチェックする
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