2009年09月29日

あゝ、日本の児童は入学の当初から呪われている

 前回、山本鼎のことを書いた。
〈不自由の反対が自由〉
 そう言って、山本鼎は児童自由画というものを提唱した。山本は画家である。美術の専門家だから美術が学校の中で図画なるものに歪められ、「何かの役に立つもの」として扱われたことが不自由の原因であることを山本は見抜いていた。確かに今でも答の決まっているように思える数学や、法則があるかのように見える理科、覚えてしまえばいいような社会科、いずれも何かの役に立てようと扱ったところで不自由になってしまう。学校というところはどうにもそうやって何もかもつまらなくしてしまうところらしい。しかもそれは単につまらないかつまらなくないかということではなく、子どもの人権にかかわることなんだな。
 で、小説風に…
 山本鼎の妻家子の兄である隆吉は鼎の話を聞くと、自分の少年時代を思い起こした。裕福な酒屋の息子として生を受けた隆吉は乳母に連れられて始めて学校の門の前に立ったとき恐怖で泣きわめいたという。彼は首席を通して尋常小学校を卒業するが、にもかかわらず、卒業式の日に学校の門を出るとき旧友たちと学校に向かって「バカ学校!」と叫んだという。それはなにゆえであったか。隆吉は一篇の唱歌を読み解いたとき、その理由がわかった。その唱歌は次のようなものであった。
学校
1.私の学校よい学校よ 教場広い 庭広い
  掛図やご本やいろいろな 珍しいものたくさんあって
2.私の先生よい先生よ 私たちをかわいがり
  読み書き算術いろいろな よいこと教えてくださいまして
3.私の友達よい友達よ 毎日仲良く元気よく
  遊戯やなにかいろいろな おもしろいこと一緒にやって
 読者諸君は何か感づいたかな。山本鼎の義兄である北原隆吉。何を隠そう、世に北原白秋として知られる歌人、詩人である。もちろん柳川出身だということは福岡の人間なら誰でも知っているだろう。白秋は山本鼎の影響を受けて「詩、絵画、音楽の三つの芸術が児童の美的情操を薫養する上で何より重要である」とかなんとか言ってこの「学校」という唱歌の分析を行ったのである。
 白秋の分析はきびしい。よい学校とはどんな学校か、よい教師とはどんな教師か、よい友達とはどういうやつか。こういう問いを投げかけながらこの唱歌はとんでもないまちがいを子どもに植え付けようとしている。設備の完備した学校が果たしてよい学校なのか、子どもたちを生き生きとさせるものについて語らずに外形的物質的なもので学校の良し悪しを歌っているではないか。よい教師とは…かわいがると言っても母親のような愛情があるか?ものを教えると言っても問題を解くテクニックだけで知識の中にある精神は教えていない。子どもの知識欲にひびくことはしていない。ただ、視学(指導主事みたいなもの)にべんちゃらを言い、自分の虚名だけにしがみついているじゃないか、と。そしてよい友達とは…よい友達とは歌詞のように仲良しだけでいいのか。この社会の公人としての関係性は与えられているのか。いないだろう。
 白秋は言う。この歌詞の中から浮かぶのは血の通っていない、紙製の教師や生徒が糊付けされて作られた人形の学校でしかないと。そして白秋は子どもたちを「その成人(つまり教師というおとなだ)の規定した頑固一点張りの教育方法によって絶えずその強圧と掣肘と束縛とを受けねばならぬ精神的幼年囚」だとみなし、その成人監守の下に建てられた児童の牢獄の中で、子どもたちは悲哀と失望と憤激と反感を感じざるを得ないだろうと指摘したのだった。
 そして白秋の出した結論は
〈あゝ、日本の児童は入学の当初から呪われている〉だった。
 現在のわたしたちの学校が白秋の批判した頃の学校と比べてどれだけよくなっているだろうか。よく考えてみよう。
参考;北原白秋「小学唱歌々詞批判」(『芸術自由教育』1-10,1921.11)
posted by 河東真也 at 18:41| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校の文化史 | 更新情報をチェックする
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