2009年09月29日

芸術は教えられるか

 学校というところは何でも教えてくれる。だから教師は何でも教えられる。われわれの中にそういう驕(おご)りはないだろうか。……僕にはある。教師稼業をしていると、何でも教えるのが当然のようになり、つい滔々(とうとう)とあることないことを語ってしまう癖が身に付いていて、時折、真実を知っている人たちから顰蹙(ひんしゅく)を買ってしまうのだ。
 先般知ったところによると、道徳のテストが出回っており、「福岡県内では、小学校46校、中学校5校で実施された」(朝日新聞、2008.4.10)のだという。それで偏差値まで出るそうなのだから笑止千万なのだが、嗤(わら)ってもいられない。この業界では、そういうものが通ってしまう恐ろしさがあるからだ。なにしろ、愛国心評価の通信表が使われていた土地柄なのだから。
 もっとも、自分の道徳性も知らずに子どもに道徳を教え、かつ評価しようなどという、大それた不道徳な方々が世の中には溢(あふ)れているようなのだ。
 道徳もさることながら、芸術的教科などというのも学校には存在し、これもまた数値化しにくい教科である。道徳であれ、芸術であれ、その中に価値を含んだものというのは評価が難しい。何をどのように評価したらいいのだろう、と悩むことなく、音楽や美術(図画工作)に点数をつけちゃってはいないかな。
 明治14年に出された小学校教則大綱には、図画が登場している。この頃の図画というのは、「眼力と手力を鍛え、斉整・清浄美麗の感性を育て、職業的に技巧と発明の想像力を起こさせる」と当時の指南書には記されていた。加えて、「博物・地理・幾何のようなものの形を扱う教科の役に立つ」、つまり、他教科の補助教科という位置づけも得ていた。その典型が、臨画という教授法であった。これは、手本を見て、位置や形などを手本と全く同じように模写する方法で、こういう教育が当時の学校図画教育の常識だったのである。これだと評価はしやすい。教師には楽である。
 ところが、こうした臨画中心の図画教育を批判した人物がいた。山本鼎(かなえ)という画家であった。山本鼎は、東京美術学校(現在の東京芸術大学)を出た後、版画家として活躍していた。失恋を機にフランスに留学して、モスクワ経由で帰国したのが大正5年のことであった。山本鼎は帰国すると、父親が医院を開業している長野県小県郡神川村(現在の上田市)に戻り、ここで学校教育の現場と遭遇する。彼は、臨画中心の図画教育に呆れ果てた。これはあまりに不自由な教育ではないか、と思って地元の教師たちと語り合い、大正7年12月、神川小学校で「児童自由画の奨励」と題する講演を行ったのである。
 山本鼎は、臨画中心の図画教育は不自由であるゆえにまちがいである、子どもの中には可能性の芽がある、それを育てるには子どもの目で捉えた自然や想像の世界を自由に描かせるように指導すべきだ、と訴えたのである。そして、児童自由画展覧会を開催するに至った。これはけっこう評判となり、彼は日本児童自由画協会を設立して、自由画教育の普及に努めた。
 山本鼎は、自由ということを強調したわけではない。臨画教育が不自由すぎるから、その反対として自由を言ったまでのことだった。模写では個性的表現が制限される。これではダメだと言うのだ。手本は自然であり、これを自由に描くことが大切であり、子どもをそこまで引き出すのが教師の仕事なのだと言う。
 ここには、教えこむという教師の常套(じょうとう)的姿勢は見られない。彼の指導は、子どもが自由に描くことのできるようにいろいろな講話をしたり、映画、幻灯、写真、実地見学など、子どもの感性を磨く学習を重視し、そこから絵画の技法を見つけさせるという方法を採った。
 もうひとつ重要なことは、山本鼎が図画教育の目的を何においたのかである。彼は、図画教育は美術教育であり、美術教育は美的感銘と想像力にある、即ち目的は美術そのものである、とした。何かの補助教科の位置から、図画教育をすくい上げたのである。それにしても、図画教育はおろか、現在の教科教育自体が何かの補助教科になっていやしないか。補助教科だから教師は教えこむことができるし、子どもの芽を潰(つぶ)すこともできるのだ。
 彼の立ち上げた日本児童自由画協会は、まもなく日本自由教育協会と改称した。そう、芸術を教えるとは、教育それ自身を意味していたのだ。以(もっ)て瞑(めい)すべしかな。

参考;上野浩道『芸術教育運動の研究』風間書房 1981
posted by 河東真也 at 18:38| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校の文化史 | 更新情報をチェックする
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